くみちょのだらだらして悪いかぁ~?
私事の日々の雑感や趣味の事を書いていきます。
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最近の思うこと
ここ数年、やたらと殺人事件が目立つ。
残酷なもの、猟奇的なもの、単純なものと、いろいろだが、
ものすごい残酷な殺人が行われて、
「人間のすることじゃない!!」などと、発言される方が
おられるが、この地球上であらゆる生き物が存在する中で
最も残酷な事をするのは人間だけだと思っております。
つまり、「人間のすることじゃない!」ではなく、
「人間しかしない」の間違いだと思います。

それは、さておき、
刑事事件の場合、犯人は警察に特定されるか逮捕されると容疑者となる。
容疑者は検察に起訴されると被告人となる。
被告人は裁判によって有罪が確定すると受刑者、または
死刑囚となる。
(有罪でも執行猶予処分の場合は釈放されるけど。)
そして、無罪になった場合はそのまま放免である。

こんなこと誰でも知っていると思うのだが、実はよく理解していない人が多いようだ。
なんの事かというと、裁判で有罪が確定するまでは
推定無罪だということなのだ。

推定無罪とは裁判で有罪が確定するまでは無罪という意味である。

警察に逮捕されて、新聞なんかにデカデカと報道されても、
送検されなかったり、検察が不起訴処分にした場合は犯罪者ではないのだ。

最近のマスコミはそういう意味を含めて、逮捕された時点で
容疑者と表現し、起訴された時点で被告と表現しているらしい。

しかし、世間はそういう見方をしない場合が多いね。
それって、とってもあぶない考え方だと思うのは
わしだけなのかね?

あと、数年で裁判員制度が始まるわけだが、
そんな認識で一般の人たちが裁判に臨んでいいものか考えてしまう。
最低でも推定無罪って考え方を理解したほうがいいと思う。

もうひとつ。
裁判は感情論で進めてはいけないし、被害者側の
復讐の場ではない。と、いうことだ。

現行の法律では被害者感情を反映させるものは
なにもないのだ。それが気に入らないのであれば
センセイと呼ばれる方々に陳情して反映させる
法律でも作ってもらうしかない。
だが、それでは「裁判の精神」に真っ向から反するもの
になるだろう。
そもそも復讐の場でいいのなら、裁判なんぞ必要ない。
明治の初期に廃止されたあだ討ちを復活させればいいし、
なんでもかんでも死刑にすりゃいいのだ。

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